Column

挑戦のススメ

January,2005

Chapter1

 2005年。あなたは今年何に挑戦しますか?私は23年の短い人生の中で、まだ何もやり遂げてはいないけれど、一度だけ「自分に挑戦した」ことがある。それは16歳から18歳までの「フロリダ留学」。私にとって、その留学は「自分自身との勝負」だった。
  私が留学したいと思ったのは中学2年の時。動機は一つ。逃げたかった。自分がその時置かれている状況全て、学校、親、友達、もう全ての前から消えたいと思っていた時期だった。NYの小学校を卒業して入った日本の私立中学は、入学式から化粧をしていった私が上手く馴染める場所ではなかった。(今考えたら分かる気もするが、「マスカラまつげ」は一瞬にして学校中を敵にまわすような行為だったらしい。その時の私には何故スッピンが強要されるのか理解不能だった。)一つが上手くいかないと、全てが狂いだす。何をやっても跳ね返る、そんな時だった。誰にも自分を理解してもらえない。その事に破壊されそうだった。
「死にたい!でもこのままじゃ絶対に死にたくない!」
そんなことをよく思った。NYに一人戻ろうと、飛行機代を稼ぐために中3の時、年を偽ってバイトを始めた。そんな無謀な計画を立てるほど多分追い詰められていたんだと思う。バイトはすぐにばれ、危うく裁判沙汰にまで発展しそうだったほど大事件となってしまった。でもその後、私の両親が留学を積極的に応援してくれるようになった。そして私はその時、自分はまだ子供で、両親に守られていることを初めて心から感じた。

その2年後、私は晴れて日本を飛び立った。ただ、16歳になった私の周りの状況もいい方向に変化していた。親友と呼べる友達も出来たし、学校では美術部に入りひたすら絵を描いて、週末は、ハイビスカスを頭に付けて渋谷に遊びに行く。そんな日本での生活が楽しくって仕方がない位だった。だけどやっぱり、自分に絶対的な自信が持てなかった。だからよく見栄を張った嘘をついていた。自分という人間を誰一人知らない新しい場所へ行って、新しい人たちにありのままの私を受け入れてもらえるのかを試したかった。飛行機の中から、フロリダにあるSt.Peterburgという街を見て、「ここを私の第二の故郷と呼べる街にしたい」と思ったのを覚えている。それが、私の「挑戦」のはじまり。様々な葛藤と、涙と、両親の支えを経て、私は飛ぶことが出来たのだ。まだ見ぬ友人、新たな土地、そこでの新たな生活に胸が高鳴った。

Chapter2

 自分の居場所を見つけられない場所からの逃亡のつもりだった「留学」なのに、“自分には帰る場所がある”ということが留学中の私の支えとなった。ホームステイ先は、ビーチ沿いにある高級マンションがったが、初めて現地の高校へ行った時、私は恐怖に近い感覚で圧倒された。私が通ったNYにある高級住宅地の小学校とはまるで違っていたから。まず、学校にいる人たちが高校生には見えなかった。アメフトのジャージを着た白人の男の子は、見るからに強そうだったし、タトゥーと金歯の黒人の男の子は、当時の私にはギャングにしか見えなかったし、チアリーダーの女の子たちは鼻高々に廊下をコツコツ歩いていたし、クラスにはお腹の大きな妊娠中の子もいたし、カフェテリアは見事に人種とジャンルごとに分かれていたし、私は途方に暮れてしまった。ここで、どうやって友達を作ればいいんだろう。日本の学校と違って、「留学生の〇〇さんです」的な紹介はなく、人種のるつぼである学校でアジア人が珍しいわけでもなく、仲良しグループが確立されている高校という場所で、私は自分の居場所を見つけられるのか。1からのスタートは、私が思っていた以上に厳しいものだった。週末に遊ぶ友達はおろか、一緒にランチを食べる友達もいない数週間は、私に始めて「孤独」の意味を教えてくれた。私は、日本で私の周りにあったもの、学校、友達、そして両親を初めて物凄く恋しく思った。

 学校にいくのを苦痛に感じていても、私は制服のない毎日をファッションで楽しんだ。すると、日本のギャル・ファッションはとても受けた。「その服どこの?」廊下ですれ違う女の子に次々と聞かれた。私は、「日本」と答えるたびに、日本を誇りに思った。私の手帳に貼られた無数のプリクラに、皆が関心を示し、日本語で細かく書かれた私の日記に、皆が目を丸くして歓声を上げた。「漢字で俺の名前を腕に書いてくれ」黒人の男の子が私にマーカーを差し出した。一人に書いてあげると、知らない子までが私に偽タトゥーを頼んでくるようになった。日本のファッション誌を見せると、「アジア人が金髪にして、こんな派手な格好をしているなんて新鮮!ものすごく可愛い!」と女の子たちはキャーキャー騒ぎ、男の子たちは日本に行きたいと口々に言った。「日本人」であることが私の強烈な個性となり、人種関係なく沢山の友達が出来た。「日本はとてもファッショナブルで、治安も良くて、素晴らしい国なの」私は皆に説明した。一時は死にたいと思うほどに大嫌いだったの「日本」に、外国人の皆につられるようにして私までが恋に落ちた。

Chapter3

友達が出来ると、フロリダの高校の色んな部分が見えてきた。(ここで全てを書くのは無理だけど。)国の方針で、リッチな地域からゲットーな地域まで色んな環境、人種の子供たちを均等に一つの学校に通わせていること。始めは、人種ごとに分かれたカフェテリアに嫌悪感を感じたが、実際人種に関わらず皆仲が良いこと。(たまに、人種に関わる争いもあるが。)派手な外見をした不良っぽい子達の多くも、大学進学を強く望んでいて、そのために卒業後軍隊へ入る子も多いこと。(アメリカでは、軍隊に入ると、大学進学に必要なお金を奨学金として貰えるのだ。)私は、彼等に「学ぶこと」の意味を教えてもらった。留学前、私は日本の私立の進学校にいて、生徒の多くは「学ぶこと」の意味を分らないままとりあえず大学へ進学する。私は「学ぶこと」の意味が分からないから、大学へは絶対に行きたくないと思っていた。アルバイトで、家の家計を助けながら大学進学のために必死になる高校生を見て、両親に守られて育ち、その暖かさの中で生ぬるく生きてきた自分に腹が立った。生ぬるいから、物事の本質を見抜けなかった。「学ぶこと」とは、自分を豊かにすること。「知る喜び」を私は留学で経験した。そして、二年間の留学で新しい場所を自分の第二の故郷と呼べるくらいの場所に出来たことが、私が何よりも必要としていた「自信」(自分を信じる力)に繋がった。

 

私たちは、自分の周りにあるものに慣れると、その距離が近すぎて大切なものが見えなくなってしまう生き物かもしれない。だから、時には遠くへ行くことが、必要なのかもしれない。新しいものを見るため、そして自分のそばにあったものを直視するために。そして、何かに「挑戦する」こと。その挑戦に打ち勝った時、人は始めて「自信」を付けることが出来るのではないだろうか。私の友人が、去年イギリスへ留学した。彼は65歳。会社社長で、お金もあって今の人生にも満足していただろう彼が、「私は英語が話せない!」と単身イギリスへ旅立った。なんてカッコイイんだろう。私も、ずっとずっと何かに挑戦し続けて、負けても負けても立ち上がり、勝った時には「自分を信じる力」を育て、生きていきたいと心から思った。

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