Column

就職活動と1つの夢の崩壊

June,2006.

Chapter.1

=子供の頃のあなたの夢は何でしたか?=

豊かな時代を生きる大人は、子供に「将来の夢は何?」と聞くのが大好きだ。子供を見つけると、やたらと聞きたがる。だから私たちは、幼稚園の頃から、それぞれ大人になったらどんなことをやりたいのか考えて答えを出してみた。「ドレスが可愛いからお姫様!」とか、「おもちゃが楽しいから俺、デパートになる!」とか、そんなもんだけどね。大人は、子供の夢が「宇宙飛行士!」とか「オリンピック選手!」など、スケールが大きければ大きいほど「まぁすごい!」なんて言って大喜びする。子供が「サラリーマン!」とか「OL!」など、現実的なことを言うと、「夢のない子ね」なんて言ってちょっと残念がる。あの頃は、大きな夢を持てば持つほど、褒められた。それが、戦争もなく、食べるものにも着るものにも困らずにスクスク育った、私たちの世代。

物心ついた頃から大きな夢を見ることを許されていた私たちに、大人はある日突然、手の平を返したように言う。「いつまでそんな夢みたいなこと言ってるの!ちゃんと就職しなさい!!」私たちは混乱してしまう。“だってちょっと前は、夢が大きいのはいいことだって褒めてくれたじゃない”と。だけど私たちも、大人になっていくにつれて現実が良く見えてくる。子供の頃には、自分は何にだってなれるって思っていたのに、実はそうでもないことにうすうす気付いてくる。TVの中でキラキラ輝くオリンピック選手を見て、“あ、私もなりたいって思ってたのになぁ”なんて思っても、20歳を過ぎてしまった自分は、3歳の時からそのスポーツを始めていたその選手のようにはもう絶対になれないのだ。一方で、3歳からオリンピックを目指していた(目指すようにされていた?)その選手にも、もう他の道は残されていなかったりもする。つまり、現実がはっきりと見える年になる頃には、育った環境や自分の能力によって、既に多くの夢が現実不可能になってしまっている。“夢は、絶対に叶う!”ってのは、キレイゴト。だって人生は有限だから、どんな夢にも賞味期限がある。でも、こうやって言葉にしてみるだけで、あぁなんて悲しいんだろう。そんなこと、夢を見ながら育ってきた私たちは簡単に受け入れられない。“絶対あるはずだ。何かあるはずだ。まだ見つかっていないだけで、どこかにあるはずなんだ自分の夢が!”私たちは、そう思いながらなんだかソワソワして焦っている。何故焦る必要があるのか。それはある時期が来ると、私たちは現実を直視せざるを得なくなるから。学生生活が終わりに差し掛かると、「就職活動」の時期がくる。それは私たち初めて、夢から現実へ引き戻される時。

ある日学校にいくと、数年間には一緒に夢を語り合っていた友達たちは、そんな会話はまるで無かったかのように“就活モード”に切り替わっている。髪の毛はいつの間にか黒に染め直されていて、「誰はあんな大手企業の内定をもらった」とか「誰は既に3社から内定を貰っている」とか、そんな話しか出てこない。ダンサーの友達がいつも汗でびっしょりだったTシャツを脱いで、雑誌でたまに読者モデルをやってた友達がいつも履いてたハイヒールを脱いで、いつもフリースタイルかましてたラッパーの友達がヘッドフォンを取って、皆が“就活スーツ”に着替えると、私たちはたちまち同じスタートラインに立ったライバル同士になる。街のいたるところに、自分と同じ格好をしたライバル達が出没しだす。遅れをとってはいけないと、とりあえずリクナビに登録してみる。PCの中の“未読メールが70件あります”という毎日の報告にうんざりする。髪の毛から靴まで、全身黒に染まった鏡の中の自分を見ると、今まで「個性が大事だ」と言ってきた大人たちに対する怒りが込み上げてくる。鏡の中の自分は、一体誰なのか、分からなくなる。まるで喪服。果たしてこれは“今まで見てきた夢の葬式”なのか・・・?

Chapter.2

=大人になったあなたの夢は何ですか?=

「“就活スーツ”を着て企業の面接に向かう途中、俺はNASを聴いていたんだけど、NASと自分の違いに、俺はどうしよもなく切なくなったんだ。」大学3年生の男の子が私にそう言った。彼は、中学時代に日本語ラップを初めて聴いて以来、HIPHOPカルチャーの虜になり、大学時代には自分でもラップを始め何度も何度もクラブでライブ活動を繰り返してきた、私の弟。NASは、彼が最も尊敬するリリシストだ。「どうしてもっと積極的に、就活に取り組まないの?」と私は彼に対してちょっとイライラしていたのだけど、彼の言葉を聞いて、私は何も言えなくなってしまった。彼のその気持ち、良く分かるから。私にも「就職活動」の四文字が重く圧し掛かってきた時期があった。(今後また、就職を考えることだってあるだろう・・・。)それはちょうど去年の今頃で、私も彼と同じようにどうしよもない切なさを感じていた。

「このままフリーランスで仕事をしていて、今は仕事があっても、40歳になったら私はどうなるんだろう?ローンだって組めないだろうから、家も買えないかも。自分一人はなんとか養っていけたとしても、自分の子供を大学まで行かせるお金を果たして稼げるだろうか?」そんな将来の金銭的な不安が、私をリクナビに登録させた。

ただ、子供の頃よりも頭が良くなってしまった分、大人になった私たちの夢探しは困難だ。もしかしたら、子供のうちしか自由に大きな夢を見ることが出来ないから、大人は子供に大きな夢をみさせようとするのかもね。大人になった自分には現実不可能な夢も、子供は叶えることが出来る可能性を持っているから、期待するのかもね。

でも、貴方がとてもとても小さい頃、大きな夢を持っていれば大人に褒められるってこともまだ分からなかった時に、「将来の夢は?」と聞かれて何て言ったか思い出してみて。私の答えは「病院になりたい!」だった。注射をされても泣かない子だった私は、病院に行くとお母さんはいつもより優しくなって、帰りにはおかしを買ってくれた。だから、病院が大好きで、大きくなったら私は病院になろうって思っていた。今考えるとチャンチャラ可笑しな夢だけど、夢って本当はそんな風に“自由”でいいんじゃないかなって、最近思う。「ドレスが可愛いからお姫様!」とか「おもちゃが楽しいからデパート!」とか、大人だったら決して夢とは呼ばないようなことを、子供は堂々と夢だと言い切る。もちろん、大人になってそんな風に夢を見ることは出来なくなったけれど、その“シンプルさ”、“自由さ”まで忘れることはない。それに、夢が大きい方が偉いなんて嘘だ。だって例えば、「俺の夢は営業成績トップ!」って毎日必死に頭下げながら働いているサラリーマンと、「俺の夢はロックスター!」って親のスネかじりながらたまにライブで歌ってるだけのフリーターだったら、前者の方が輝いていると思う。要は、夢の大きさじゃなくて、どれだけ人生に“マジに”取り組んでいるかってことが大事だってこと。

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