不愉快な目覚ましのピピピピ音で、朝9時に目覚めた。まず、散らかった部屋を片付けなければいけない。そうしないと、集中して原稿を書けないから。そして、まだ手を付けていない締め切りギリギリの原稿が4件ある。今日中に、絶対に書かなくてはいけない。頭の中で、何度も何度も自分に言い聞かせたのに、私はどうしても、ベッドから抜け出せなかった。
やらなきゃいけないって、誰よりも自分が一番分かっているのに、どうしても行動に移せない、このもどかしさはとても辛い。私はベッドの中で枕に顔を埋めながら、勉強が間に合わなかったテストの日に、学校に行きたくなくて仮病をつかい、お母さんに渡された体温計を必死で電球に近づけていた中学時代を思い出した。学校をズル休みした夜は、“またテストの日に休んじゃった。先生にも友達にも、仮病だってバレたっぽい!”なんて考えて、落ち込む。そして、次の朝は、もっと学校に行きたくなくなる。やらなきゃいけないことから逃げた自分に、うんざりする。自分のことが嫌いになる。それは、なによりも“負”の感情。自分がテストから逃げたせいで、友達が次の範囲を勉強している時に、自分は追試の勉強もしなければいけなくなる。やらなきゃいけないことが増えた上に、“友達に置いていかれてしまう”という焦りまで加わる。“ヤバイ”と思えば思うほど、やらなきゃいけないことが出来なくなる。もう、ここからは“負”のループ。“あぁ、10年も経ったのに、これじゃ14歳の頃の私と何も変わっていない・・・”そう思って、私はちょっと泣いた。やるべきことをやらずに、ぼーっと時間を過ごすときの嫌な感じは、何度味わっても慣れることが出来ない。
結局、ベッドからのこのこ起き上がったのは、夕方。部屋は汚いままだし、原稿は真っ白。1日を無駄にしてしまった自分に、ものすごく腹が立った。“やる気”はまだ復活していなかったけれど、とりあえずPCに向かう。時計を見て、ハッとする。締め切りまで、時間がない!私の頭の中が切り替わったのを感じた。その時、“やらなきゃ”から“やるぞ”にマインドをシフトしてくれたのは、危機感だったと思う。仕事、という緊張感。それは、これをやらないと他人に迷惑をかける、という種類のものではなくて、これで金を稼がなうては自分が生きていけなくなる、というもの。14歳の頃の私は、テストから逃げても、学校をさぼっても、住むところも、食べるものも、親が与えてくれていた。やらなきゃいけないことやらなくても、生きていけたのだ。今、24歳の私が仕事から逃げれば、当然家賃も食費も払えない。その危機感が、私にやる気を取り戻させた。ホームレスをみるたびに、私は思うことがある。“この人もきっと、私と同じように、やらなきゃいけないことをできないもどかしさを経験したことがあるんだろうなぁ”って、その点で通じ合えるんじゃないかな、とフト共感してしまう。そして、“でも私はこうなりたくない”という危機感を覚える。人間って、きっとみんな弱いんだと思う。他人から強いと言われるような人間でさえも。だって、みんな、他人にはなったことがないのだから、弱さの基準は自分の中だけにしかない。生きていくって、実は全て自分との戦いなんだ。自分の弱さとの戦いに負けそうになった時も、助けられるのは自分しかいない。
「自分が一番分かってんだから、いちいち言うんじゃねぇよ!」と親にブチ切れていた頃、私が自分の弱さに負けていた理由は、親が私を養ってくれていたから。その愛情の中にドップリと漬かって、甘えていたのだ。